2012年03月29日

十年一昔

十年一昔という言葉。

幼稚園児の頃に時計の秒針を見ていて、1秒ってのは長いな、秒針が1周するのには時間がかかるものだなと思った記憶があるんですが、今とは明らかに感じ方が違う、というより時間の流れる速度は速まっているんじゃないかとも年々思う(汗)。

それでも10年という年月は、それなりに昔といえる過去になったのかもしれないけれど、例えば自分が60歳とかになったときに振り返る10年前と、今現在からの10年前が同じような感覚だとも思えず。

10年前は2002年。
日韓ワールドカップがあった年で、みずほ銀行が誕生したといった出来事も。11年前にはみずほ銀行は無かったということにはちょっと驚きますが。


もうちょっと視野を広げて100年前の1912年はといえば、明治が45年で終わって大正元年になる年。
タイタニック号が沈没したり、ジョン・ケージベン・ホーガンが生まれた年というと若干のリアリティが出てくるようにも思いますが。
この年から近い出来事というと1914年の第一次世界大戦の開戦とか。その戦争でも使われた飛行機をライト兄弟が最初に飛ばしたのが1903年というのは技術の進化に驚く。
第一次大戦で飛んでいた飛行機が、"一昔前"にやっと地上から舞い上がったばかりのものだというのはどんな感覚だったのだろうかとは思う。

ただ100年前とはいっても、動画や写真が残っている近代のことでもあり、知ろうと思えばだいたいのことは解かりえる"昔"なので、大昔という感覚にまではちょっとならない。
200年前は日本は江戸時代真っ盛りで、元号でいえば文化年間というのはさすがに大昔な感覚がするけれど、100年前の倍の昔というよりもっと遠い気がしてしまう。ここいらへんは自分の感覚が妙なだけかもしれんですが。


しかしインターネットやらの進化で、十年一昔という言葉の感覚もちょっと変わっていくのかも。
変わらないのは、10年単位にしろ過去の積み重ねで今現在があることであり、自分がやったことの責任はずっとありつづけるということ。そういった責任は"十年一昔"とひとくくりにしても、10年の経過はまた次の10年の始まりに過ぎないんじゃないかと。
今現在の自分は、10年後から見れば今よりも近い"十年一昔"の中にいると思うんですが、近いとはいえ手が届くことはない過去というのが今なので、それを常に理解していなければならないんだな、と思います。

全体的に、当たり前のことなんですが(汗)。

Posted by toshihiko_watanabe at 23:36│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 日常 

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