2012年08月24日

加治将一 / 龍馬の黒幕

加治将一氏の『龍馬の黒幕(2009年)』。
文庫化の際に『あやつられた龍馬(2006年)』から改題され加筆修正された作品とのこと。

Ryouma

ここ数年は推理小説ばかりを読んでいるけれど、自分が憶えている限り児童書などから1ステップ昇って"読書"というものに足を踏み入れたのは、中学生の頃に読んだ司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』で、結局今にいたるまでで司馬遼太郎氏の作品は『街道をゆく』シリーズ以外はほとんど読んでいたり。
『街道をゆく』シリーズは全43巻もあるので手を出していなかったんですが、そろそろ読み始めようかとも今回思いましたが。
で、読んだ本作は、自分にとっては久しぶりの歴史ものであったり坂本龍馬ものであったりという作品。


作品のメインテーマとなるのは、京都見廻組によるものが定説となりながら今なお判明してはいない坂本龍馬を暗殺した犯人と、明治維新に関わった外国人フリーメーソンメンバー達の活動という点。

龍馬暗殺の犯人に関してはなかなか斬新な説が提議されていて、またこの作品を読む意味のひとつにはなりえるのでここではバラさないようにしますが、推理のひとつとしてはあって良いものではないかと。

ただ事実がもしこの作品の通りだとすると、坂本龍馬の名前が世間では知られていなかった日露戦争(1904年)の頃に、明治皇后の夢に現れ戦争の勝利を予言したというストーリーに関わり現代に至る坂本龍馬人気をつくりだしたのが、龍馬暗殺に関わったグループの1人という田中光顕ってのはどうなのかと。まあその日露戦争時のストーリーはかなりつくり話っぽいものですが。


この『龍馬の黒幕』という作品は、例えば大きな石を削っていって歴史の中での坂本龍馬という彫像を浮かび上がらせていくような書かれ方をされているのですが、もちろん『竜馬がゆく』のような小説とは違って当たり前ながら、いまいち坂本龍馬の表情や息づかいが聴こえてこないのはひとつの印象。
また、作品前半はフリーメーソンの団結力であったり歴史上の高名な人物が参加していたりといった底知れない部分が描かれながら、終盤は明治維新に関わったイギリス人数人がフリーメーソンのメンバーであったということだけで、フリーメーソンだったからこうならなければならなかったという理由が希薄に感じたのもまたひとつの印象。大部分の日本人にとっての仏教に対するような関わりに感じてしまったり。


龍馬暗殺という事件はもう145年も前(1867年)のことでもあり、真実がわかることはおそらく今後ないと思いますが、同じように全容がわかりえないフリーメーソンというものと組み合わされてこの厚さになった作品なのかとは思います。
違和感としては、当時25歳前後のイギリス人通訳アーネスト・サトウの存在の描き方が大きすぎるようにも感じましたし。



この作品で書かれた時代の約150年前の人物達というのは、もはや文献によって組み立てられる虚像を交えたものとなっていくと思いますが、同じ虚像ならやはり『竜馬がゆく』のような快男子な坂本龍馬で良いのかも。
坂本龍馬が亡くなった歳を超えてしまった自分などはそうも思うのですが(笑)。
竜馬がゆく』の坂本龍馬は、例えば『カリオストロ』のルパン三世のように"良い人過ぎる"ところはあると思うんですが、青春小説の主人公はああいうものでなければならない気もするので。


龍馬の黒幕』で推理された龍馬暗殺の真相というのは、正直トンデモ系のものに近い感触は受けてしまいますが、色々な意見はあって良いと思うので。
個人的な感想としては、イギリス人の視点に寄り過ぎた薩摩藩陰謀説というところなんですが。
タイムマシンが発明されない限り真相がわかることはないと思いますが、さらに別の推理というものがあるのならばまた読んでみたいなとも思います。  

Posted by toshihiko_watanabe at 23:09Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加