2009年11月17日

無駄

最近のトップニュースにもなっている、行政刷新会議の「事業仕分け」で、GXロケット計画の廃止・見直しとのことですが、
ニュースで伝えられる情報では、開発の遅れやそれに伴う開発費の増大も理由に挙げられたとのことですが、一番の問題とされたのは「採算性」とのことだそうで。

しかしこういった未来に向かっての開発事業に、単純に採算性を言われると、キビしい以外のなにものでもないと思うのですが。

国のお金に関わること全体の、幹の部分での無駄はなくさないといけないと思いますが、枝葉の部分では(悪く言えば)必要悪的に一見無駄に見えるものもあっていい、もしくはあるべきだと思うんですがね。

採算性をいえば、スポーツ関連事業だってそうですし、芸術関係も論外でしょう。

ただ国家レベルでお金を持ってきてもらわないと、企業・個人のお金の使い方ではどうにも未来への種は蒔けない分野ってのは多くあるわけですし。

あまり目先の採算性だけを論点にして、息の根を止めるまでのことはしない方がいいと思いますが。

もちろん、将来的にも生きてこない本当に無駄な事業も相当あるとは思うので、今回やっている議論は必要なことだとは思いますけどね。



そういえば、この無駄をなくす「事業仕分け」の議論を見ていて思い出したのが、
NO MUSIC, NO LIFE.
というフレーズ。

これはタワーレコードのつくったキャッチフレーズですが、個人的にはどうも違和感を持っていまして。

以前、自分と同じように音楽を演奏する側の友達と話したのですが、
「別に音楽がなくても生きていける」
と、音楽家としてはとんでもないであろう結論に(爆)。

ただ、自分としてはもし事故などで手が無くなって楽器が弾けなくなったとしても人生終わりだとまでは思わないですし、極端に言えば耳が聞こえなくなったとしてもそれは同じ。
そうしたらそうしたで、別に楽しみは見つけると思いますし。

音楽は、あくまで人生に潤いを持たせる為にあるもので、極論を言えば結局は「娯楽」ですし。

NO MUSIC, NO LIFE.』と売り手であるレコード会社が言ってしまうのは、商売っ気が見え過ぎてしまうのと、どうにも音楽を提供する側の驕りに感じてしまう部分もあるんですよねぇ。

聴く側の、人の人生の中での音楽の位置づけ・割り合いは、カレーでいったら福神漬け程度のものではないと思いますが(汗)、どう主役であるカレーを引き立てていけるのか。
音楽を演る側は、そういった最上級の(人生の中での)脇役を目指して全身全霊をかけて音を出していくのがあり方なのではないかとは思っていますが。


まあこれはあくまで自分の考えなので、これでお前はミュージシャン失格とか言われても、あなたの観点から見ればそりゃそうでしょとしか言えませんが(笑)。  

Posted by toshihiko_watanabe at 23:09Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加