2010年09月18日

北森鴻 / 緋友禅・瑠璃の契り

北森鴻氏の冬狐堂シリーズ」の3・4作目となる『緋友禅』『瑠璃の契り』。
1・2作目の『
狐罠』『狐闇』 は長編でしたが、今回の2冊はそれぞれ4編ずつの短編集ということもあり、けっこう早く読めました。

Hiyuuzen Ruri

前作の『
狐闇』は作者の他の作品のキャラクターも多数登場するオールスター的作品でしたが、冬狐堂シリーズ」の位置づけがそうなったのか、この2作でも他の作品のキャラクターが登場。
短編集
孔雀狂想曲』の骨董品屋・雅蘭堂の店主、越名集治はもうこちらのシリーズでは重要なサブキャラクターとなっていますし、瑠璃の契り』の最後に収められている「黒髪のクピド」ではまた別のシリーズの主人公も重要な役割を担当。

瑠璃の契り』の解説で佐藤俊樹氏も書かれていますが、ミステリは最後に謎が解かれると空虚感を覚えるものが多いですが、他のシリーズでバックグラウンド等が描かれた上で登場してくる本作品では、キャラクター達の"思惑"などを考えていくと、そういった空虚感は感じない作品でした。
これはミステリの読後感としてはけっこう希有な感覚でしたが。
骨董を商う主人公、宇佐見陶子の過去が語られる部分も多いですが、まだまだなにかあると思わせるのは作者の技術なのでしょうねぇ。


作中で主人公の宇佐見陶子が、骨董業の命ともいえる眼を患う場面があり、そこでも語られていますが骨董業者の「目が利く」というのも普通の視力があってというのが大前提。
骨董業者を主人公にしてのストーリーとしてはずいぶんな展開にするな、と思いましたが、
音楽に置き換えてみると、音楽の大海に頭の先まで浸かって溺死しかけている(爆)自分も、普通の聴力があって初めて成立している話。
まあもし聴力を失ったらという仮定は、結局1か0かってことになると思うんですが、「目が利く」を音に置き換えてみるのはなかなか面白い。
もちろん骨董を含めた美術の「目が利く」は、知識の部分が大きいはずですが。


自分は、音楽を聴く上での(生物的な)聴力ってのはほとんどの人に大差はないと思っているんですが。加齢で高域が聴こえなくなってくるってのはあるにしても。
音楽を聴いて、それぞれの楽器がなにをやっているかが判別出来るかとか、メロディと和音とが聞き取れるかとかが"音楽的な"聴力の良さにあたるんだと思います。

ただ音の場合は、ヘッドホン・スピーカーの違いを聞き分けられたり、ギターの種類(ストラトとテレキャスとか)を聞き分けられたりする"音質的な"聴力の良さというのが別にあるというのが面白いところ。こちらの方が聴力という単語の一般的な意味に近いと思いますが。


まあこのいずれの聴力も他人と全くの共有・共感を出来ないってのは面白くもあり残念な部分でもあり。
学生の頃から(音楽的な)イヤートレーニングをやってきていても、今現在耳が良い方とはとても思えませんが、実際に他人と比較する方法はあまりない。
ただ、同じ音楽を聴いても、例えばバッハと自分にはまったく違う聴こえ方をしているのは確実なんだろうなぁってのは、あまりに虚しいんですが(笑)。


そんな、美術と音楽とを重ね合わせたり、他にも色々と思わされる短編集2冊でした。
たぶんこのあとの
冬狐堂シリーズ」も、他シリーズのキャラクターが行き交う路線で進んでいったと思うのですが、同時進行されていく他のシリーズで、さらにバックグラウンドを肉付けされたキャラクター達が絡んでいったであろう続編は、ぜひ読んでみたかったですねぇ。  

Posted by toshihiko_watanabe at 23:04Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

2010年08月07日

北森鴻 / 狐闇

北森鴻氏の「冬狐堂シリーズ」の2作目、『狐闇』。2002年の作品。
けっこう楽しみにしていた1冊だったので、文庫本で約550ページの長編ですが、一気に読んでしまいました。

Kitsuneyami

一応主人公は「
冬狐堂シリーズ」の宇佐見陶子ですが、主要なキャラクターとして、著者の他のシリーズ「蓮丈那智フィールドファイル」から民俗学者・蓮丈那智。
孔雀狂想曲」から雅蘭堂店主・越名集治
そして物語は「香菜里屋シリーズ」の
バー香菜里屋へ全員が集結してエンディングを迎えるという。

例えばマンガだったら、松本零士の各作品だったり、水島新司の『
大甲子園』に近いと思いますが、こういうオールスター的作品は読んでいるこっちもけっこうテンションが上がる


ストーリーは、競り市で
青銅鏡を落札して以降、競り市に参加していた男が自殺したり、宇佐見陶子自身が絵画の贋作詐欺者として骨董業者の鑑札を剥奪されたりとストーリーが進んでいく。
物語の中心になるのは、明治期に制作されたと思われる
青銅鏡。
そして中盤からのひとつのキーワードとなる「税所コレクション」。

「税所コレクション」という単語にどうもデジャヴ感を感じると思ったら、なんと中盤以降の1部分は「
蓮丈那智フィールドファイル」の第1作「凶笑面(2000年)」に収録されていた短編「双死神」を、登場人物の視点を変えて語られているという。
双死神」では蓮丈那智の助手・内藤三國の視点ですが、今回は宇佐見陶子の視点から。
双死神」の真相が実はちょっと違ったものだったのも判明しますし、また双死神」を読んでいたとしてもまったくネタバレになっていない。


現代の
宇佐見陶子が陥れられた事件と殺人事件、また過去からの青銅鏡の歴史との謎が同時進行で進んでいきますが、過去からの話は神器や国家の思惑等、相当大きい話に関連してしまい、自分としては肌に近い緊張感というものはちょっと感じられなかったかも。
逆に言うと、そういうやたらとスケールの大きい話と現代の殺人事件が結局乖離してしか取れなかったというか。

ただ、今回の作品はやはり北森鴻オールスター作品として、エンターテインメントとして楽しんだ方が良いかと。

「香菜里屋シリーズ」も読んでいた方が良いですが、少なくとも蓮丈那智フィールドファイルを読んでいれば、かなりの興奮とワクワク感で読み進めていけますし。


これだけキャラクターの立った作品群を生み出した作者なので、またこういったオールスター的作品を読みたいと思っても、今年初めの作者の急逝によりそれは叶わないんですよねぇ。
結局それが一番残念です(涙)。 
  
Posted by toshihiko_watanabe at 23:44Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加