2011年04月02日

ヒステリック

日本人で"さえ"結局している、買いだめ&極端な節電にはちょっとヒステリックな部分も感じる最近ですが。


近所のスーパーからはミネラルウォーターが消える日々。

IMG_0916

まあ水以外の商品、パンやカップ麺なんかは普通に並ぶようになってきていますし、レジにミネラルウォーター数本を並べている人を見ることもないんで、実際にそういった空気を感じているわけではないんですが。
ミネラルウォーターは1人1本までとかになっているので。


ただ、ACジャパンのCMのせいもあってか、節電風潮にはちょっと行き過ぎている感も。

今回節電をしなければならなくなっているのは、原子力・火力を含めた発電所が被災したことにより、電力の供給量が極端に落ちているからで、問題となっているのは
電力使用量のピークが発電量を上回ると大規模停電になってしまうということ。

先々週でも夜9時以降とかはまず大丈夫でしたし、気温の上がった先週以降は、ピーク時でも電力使用量は許容量をそれなりに下回っていたようで。

もちろん家庭と企業それぞれで節電に協力したのが大きいとは思うんですが、一般家庭の電力使用量は全体の使用量の2割程度という話や、電力消費のピーク時を過ぎても営業しているかわからないレベルまで照明を消していたり、その時間を過ぎた辺りを閉店時間に営業時間を短縮している店(ファミレスとか)を多く目にすると、これだとただ世間のヒステリックな節電風潮に合わせているだけのような。
電気を使っても大丈夫な時間帯にまで節電節電で、店の売り上げ等を落とし続けるのは、結局社会全体でのマイナス面の方も大きくなってくるんじゃないかも思うので。


まあそれは別として今の暗い街並はキライではないですけどね。
店舗の外に向けての照明なんてのは、他所の店よりもうちょっと明るくすればお客が寄ってくるんじゃないか、の後だしジャンケンの繰り返しだったとも思えるんで。


夏場以降の電力不足については下記にも↓

大震災による東日本の電力不足に関する緊急提言
http://pari.u-tokyo.ac.jp/earthquake/plan_SCEJ.html


結局供給量の不足は、上記のように電力の需要側でズラしていくしかないというところなんですかね。


まあ自分も平日日中はMacよりiPadを使ったりとかはしていますが、いい加減電力会社の側から、社会全体での効率的な電力の使い方の指針・指標は出して欲しいかとも。

音楽でも、アコースティックで節電ライヴみたいな企画は出てきていると思うんですけど、時間帯によるのならともかく、ちょっと観念的な、自己満足の部分が大きいように感じてしまう部分もあります。
  

Posted by toshihiko_watanabe at 23:31Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

2011年03月27日

千葉の海

今回の震災について。

11日の地震が、もしも千葉県の東方沖が震源地だった場合、自分がどうなっていたか。

実際の状況としては、地震が起こってすぐに自分の住んでいる地域は停電になってしまったので、テレビも消えてしまい情報が入ってこず。
iPhoneでWebを見て情報を収集することは出来ましたが、災害への迅速な反応としては問題外(汗)。

もし今回と同じような津波が千葉県に押し寄せた場合、ほぼ海抜ゼロmが広く続く千葉の平野部には、今回の東北地方沿岸と同程度以上には津波は到達するのではないかと。
そうすると海岸から約7kmにある自分の家も、甚大な被害を受ける可能性はあるのかも。
家屋の被害だけならともかく、もちろん命の危険も。

まあ今回と同じ行動を取っていたら、死んでいる可能性はかなり高いと思います。
正直、地震が起こった直後に自分の家にまで津波が来るという発想は全くなかったですし。

ただ今後は、強い地震が起こったら津波が来る可能性はあるのだ、という発想も持ち、また次の世代にも伝えていかなくてはならないんだと思います。
数百年に1度起こるような確立の地震だとは思いますし、またそう思いたいですが、同程度の地震が例えば来月起こる可能性はゼロとは、誰にも言えないと思うので。


さてそんな思いを持ちつつ、今日は出かけたついでに海の方を回ってきました。
もう海は穏やかでしたが。

……ただ、なんか以前より砂浜がやたら広いような。

CIMG4259

海の家がない


瓦礫などは見当たらなかったですし電柱が無事だったようなので、別の場所と間違えたかと思って、さっきGoogle Earthで確認してみました。

Map1

↑黄色いピンのある場所が撮影地。津波で被災した旭市よりだいぶ南。

Map2

場所自体は、やっぱり海の家があった場所でした。


実際に津波で流れてしまったのかはわかりませんし、少なくとも海の家に人がいる季節ではないので被害に遭った人は出ていないようなので良かったとは思いますが、ウチの地域は被災地域ではないという意識があったので、建物が無くなっているということを見るのはけっこう現実的な危機感を感じました。

たぶん今回地震に揺られた人はだいたいそうだと思いますが、3月11日の前と後では、生活している中での身構えている感覚がまったく変わってしまったと思います。
この感覚は、時間が経って薄まりはしても絶対に忘れてはいけない感覚なんじゃないかと。

人間はすぐ忘れるんで。
  
Posted by toshihiko_watanabe at 23:49Comments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加